映画「母」を鑑賞しました

 きょうは知人に誘われて映画小林多喜二の母の物語ー母」を鑑賞した。

 プロレタリア作家として知られる小林多喜二の物語ではなく、彼の母の生涯を描いた作品である。三浦綾子原作を映画化したのは山田火砂子監督。主な出演者は、母役が寺島しのぶ小林多喜二役は塩谷瞬、他に徳光和夫佐野史郎らが出演していた。

 小林多喜二と言えば、「蟹工船」や「不在地主」、「党生活者」などの作品でよく知られている。とりわけプロレタリア作家として有名である。彼は1903年に秋田県で生まれ、4歳の時に家族で小樽に移住する。後に大学で学び地元銀行に就職するが小説家への夢を求めて上京する。同時に銀行時代に社会主義思想に傾倒し、小説の世界でも労働者の権利を主張し軍国主義の暴走に反対を明確にし1933年2月「治安維持法」により逮捕、その日のうちに虐殺された。まだ29歳の若さであった。

 彼の母・セキは1873年に秋田県で生まれ、15歳にして小林家に嫁いだという。小樽では夫婦でお菓子屋さんを営んでいたが、腹を減らした子供たちが時として無断でパンを持ち逃げしても「仕方がない」と責め立てるようなこともなく、困っている人に寄り添うおおらかな人だったらしい。そんな家庭で育った多喜二は困った人たちの味方になることは当然であったかもしれない。母セキが多喜二の遺体を前に「警察は人殺しをしても許されるのか」と怒り悲しむ。その言葉が印象強い。それ以後教会に足を運ぶなどしながら1961年に88歳の人生を閉じられたらしい。

 いまの時代をも考えさせてくれるなかなか素晴らしい映画であったと知人に伝えた。びっくりしたのは、400人の会場が超満員で通路に座っている人も多かった。そのために上映実行委員会は急きょ1日2回上映のところを3回上映に切り替えて鑑賞者にサービスすることを発表した。1回目の上映が終わると2回目の臨時上映客がかなりの数にのぼっているのが分かった。

 この人気ぶりは何なんだろうか。深く考えてみる必要があるのではないだろうか。