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温浴施設での社員慰労会を楽しむ

 昨日は、パート先の”社員慰労会”に参加した。

 会場は県内の大型温浴施設。会社は昨年まで秋ごろ2回(参加者の都合で出席する)、日時、会場を変えて開催していたが、今年度から参加者を増やすため地域別に開催することになった。当地域のパートは約250人らしい。うち60人ほどが参加した。

 支社長という地域責任者などの話によると、これから少子高齢化が進むために業種を取り巻く環境はますます厳しくなるという。競争が激しくなり人材不足が懸念されるというものだった。そのために定着がよくなるように雇用環境もいっそう整えてゆきたいとの説明もあった。だが現実は最低賃金ギリギリの現状である。予想される社会保険制度への加入については、加入ラインを潜り抜けるために労働日数や勤務時間を押えるようにシフト制度を強化したいともいう。また採用については、今70歳の人は80代まで働けるよう健康管理に気を付けながら長い間働いてほしいとも付け加えていた。

 プログラムは、優秀社員表彰のあとカラオケ大会。さすがにカラオケ大好き人間たちだけに、まったく素人でも”上手だな~”と思える歌いぶりの役者が続いた。同じ職場の知り合いが登場すると一段と拍手喝さいが大きくなる。おなじみの宴会カラオケである。

 参加者は、会合の前後には都合に合わせて温泉浴を楽しんだ。

 それにしても、冷たい雨の1日ということもあったろうか施設はごった返すような混み具合だった。感謝の1日でした。

映画「母」を鑑賞しました

 きょうは知人に誘われて映画小林多喜二の母の物語ー母」を鑑賞した。

 プロレタリア作家として知られる小林多喜二の物語ではなく、彼の母の生涯を描いた作品である。三浦綾子原作を映画化したのは山田火砂子監督。主な出演者は、母役が寺島しのぶ小林多喜二役は塩谷瞬、他に徳光和夫佐野史郎らが出演していた。

 小林多喜二と言えば、「蟹工船」や「不在地主」、「党生活者」などの作品でよく知られている。とりわけプロレタリア作家として有名である。彼は1903年に秋田県で生まれ、4歳の時に家族で小樽に移住する。後に大学で学び地元銀行に就職するが小説家への夢を求めて上京する。同時に銀行時代に社会主義思想に傾倒し、小説の世界でも労働者の権利を主張し軍国主義の暴走に反対を明確にし1933年2月「治安維持法」により逮捕、その日のうちに虐殺された。まだ29歳の若さであった。

 彼の母・セキは1873年に秋田県で生まれ、15歳にして小林家に嫁いだという。小樽では夫婦でお菓子屋さんを営んでいたが、腹を減らした子供たちが時として無断でパンを持ち逃げしても「仕方がない」と責め立てるようなこともなく、困っている人に寄り添うおおらかな人だったらしい。そんな家庭で育った多喜二は困った人たちの味方になることは当然であったかもしれない。母セキが多喜二の遺体を前に「警察は人殺しをしても許されるのか」と怒り悲しむ。その言葉が印象強い。それ以後教会に足を運ぶなどしながら1961年に88歳の人生を閉じられたらしい。

 いまの時代をも考えさせてくれるなかなか素晴らしい映画であったと知人に伝えた。びっくりしたのは、400人の会場が超満員で通路に座っている人も多かった。そのために上映実行委員会は急きょ1日2回上映のところを3回上映に切り替えて鑑賞者にサービスすることを発表した。1回目の上映が終わると2回目の臨時上映客がかなりの数にのぼっているのが分かった。

 この人気ぶりは何なんだろうか。深く考えてみる必要があるのではないだろうか。